どうして政治の話をするんですか?

どうして政治の話をするんですか?
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せいじのはなし…をしていた。している。
まず選挙があったからだ。
その選挙の前にすこしでも政治の話ができるひとを見つけたかった。
政治というか、差別の話もしていた。
でも実は、そのふたつはつながっている。

私は差別のない社会を目指したい。そのためには政治を変える必要がある。だから政治の話がしたかった。うん、したい。

差別は気づかない。本当に気づかない。なんとされてる方も気づかないことがある。そしてしてる方は全くそのつもりがないことが往々にしてある。厄介だ。

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2019年ごろは自分が差別を受けたことを認識する時期だった。それはフェミニズム文学との出会いによって、自分の中にしまいこんでいた怒りみたいなものが可視化されることにより起こっていった。
自分が女性だと言うだけでマイノリティに属すことがあること、今まで気づかなかったor認めたくなかったけれど、受けてきた差別がそこにたしかに存在していたこと。

自分がやられたことに対して「あ、これ怒っていいことだったんだ」と気付いていく過程はとてもとても、とてもつらい。そもそも認めたくない。マイノリティだということも、そこに差別があることも。相手が私を無意識/意識的に差別しているということにも。

これを書いている今も「あれを差別と言っていいのだろうか、考えすぎなのでは」と思わないと言ったら嘘になる。これは私の中で認めたくない気持ちがもやもやと人の形になって「考えすぎじゃない?」「何でもかんでも差別だと言うことで権利を主張しすぎているのでは?」と常に言ってくるからでもある。

自分で自分の怒りを認識するにつれて今まではなんともなかった(と思っていた)ことが受け入れられなくなるし、気づいた反動でちょっと過敏になったりもする。
これは差別なのか?じゃあこれは?とずっと考えてしまう。そして今まで自分が受けたことに、過去のことなのに、打ちのめされて辛くなる。相手はもう覚えてもいないだろうことに、私だけがずっとずっと傷つく。

中学の時、電車通学をしていた時、痴漢にあうことは特別なことじゃなかった。
嫌だった。自分の体を他者に、公共の場所で触られることはもちろん嫌だった、でもそれを仕方ないこととして…「あるよね」みたいな諦め、そういうふうに、その頃の私たちの間でなっていたことが今になってめちゃくちゃに嫌だ。

自分の体もあの子の体もそんな風に扱われるべきじゃない、もっと怒って良かったし、悲しんで良かった。でもそれをしっかり私はやってこなかった。もし今、その時の私に言葉をかけられたとしても、無理に怒れ、悲しめとは絶対に言わない。心を無にすることでしか自分の心を守れなかったのだから

これは女性差別の話であり、人権の話なんだよな、と思う。
痴漢に合うことが日常だったあの頃の私たちの、人権の話。

もし同じようなことをもやもや思っていて、でも誰にも言えない(言えないよね)人がいたらいつでも大丈夫なのでおしゃべりしましょう。
ひとりだけで抱えて生きるのは辛すぎるよ。